記憶と想像力の執念の翼は、不自由な身体を飛翔させるか。 食い入るように画面を見つめてしまった。
香山リカ(精神科医)
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こんな映画観たことない! 長老達の話をしっかり聞いておけというのは
自分がいつも言っていることだが、これはまさに
それを映像に記録するという感嘆に値する意義深い作品である。
地面に這い蹲るように根気のいる作業だったことだろう
これを成し遂げた監督に深く頭を垂れさせてもらう。
PANTA (ミュージシャン)
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「 人間の記録 」 一人の記録映画作家のすさまじい記録である。
人は仕事はあるから生きている。仕事をするからには熱中したいのだ。
その胸の鼓動がぞくぞく伝わってくる。
カメラがまつわりついてそれを立証している。
東京オリンピックの記録映画のチーフ監督をされたが、
その仕事がいかにたいへんであるかは誰も知らない。
映像一すじ。いまなおその情熱はおとろえない。背筋が寒くなる。
カメラは、人の姿は写すことができるが、
心の中にふみこむことはできないと言われている。
しかし、この映画は、心の中へ一歩ふみこんでいる。
新藤兼人 (映画監督)
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功なり名を遂げたとて、人はみな、病み、老いて、そして死ぬ。
例外は、ない。 私とて無論、そうだ。
映画は、お前は過去をよりよく生きてきたのか?と問うてくる。
主人公が、まるで私の自画像のように見えてくる。
全く、オゾマシイ映画である。
原一男 (映画監督)
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なぜ竹藤さんは映像を愛してきた人を追いかける必要があるんだろうか?
その理由は彼女が映画を撮らざるを得ない人だからじゃないかな。
だから映っているのは竹藤佳世その人自身。
映画を撮る事を理解しようとする彼女自身の足取りをそこに観る。
そして、ラストシーンは彼女の映画を撮る事の業の深さをも、
コミュニケーション としての映画が優しく包容する。
丹下紘希 (映像/クリエイティブディレクター)
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撮ることや撮られることを通して「生」に差し込んだ光を垣間見た。
動かない半身を抱えながら、監督としての立ち位置を探りながら、
作者と出演者が交錯していく瞬間がある。
タケフジがちょっとかわいく見えてびっくりしました。
昭和という時代の検証よりも、
その時代に生きた山岸達児の人生に寄り添い、
今を生きる自分に照らし合わせながら、
この息苦しい時代を生き抜こうとする
タケフジの底力を感じました。
河瀬直美(映画監督)
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「センセー、『人類の進歩と調和』って……矛盾してません?」 なんて言われたら、戦後を突っ走ってきた世代の一人として、
ぼくもたじろがずにはいられない。
「先生」ではなく、「センセー」という呼びかけに、
近代への静かな告発のひびきがある。
天野祐吉(コラムニスト ・ 童話作家)
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果たして人類は進歩したのか? 調和を覚えたのか?
時を遡りながら、今を見つめ直すきっかけを与えてくれた作品でした。
大嶋拓(映画監督)
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押しかけ女房のようにやって来た竹藤佳世の手を、
この半身不随の老人が握りしめるとき、画面に満ちる
濃密なエロスにはっとする。
亡き妻と映像の夢の廃墟を巡るこの映画は、
手の結合が愛の交感であることを真率に教えてくれる。
坂尻昌平(映画研究者)
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竹藤監督は、きっと現在の「映画」という概念を踏み越えて、
いきなり世界に辿り着いていく人なのではないかと期待します。
渡辺真起子(女優)
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いかに生きていかに死ぬか。
世界中のどんな人間にも唯一共通するこの命題はやはり何より奥深い。
ただ生きてただ死ねばいいのだとはなかなか思えない。
そこに立ち起こる真面目な渇望と切ない欲望が
人を翻弄し人を創るのだなとしみじみ思いました。
MAYAMAXX(画家)
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人間の誇りと尊厳が試される老後の時間を、どう過ごすか。
この作品は、その切実な問題を淡々と直視し、
ユニークな構成と語り口で観せている。
僕はいつの間にか、自分と重ねて見ていた。
奥山順市(映像作家)
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カメラを向けた相手の思い出や願いを映画にしてしまう、
なんてあつか ましくておせっかいで自分勝手であたたかで
泣けてくるんだろう。
カメラを向けられた対象者が 逆に監督の野心を
優しく見守りつづけるという掟破りの展開に、
まんまと魅了させられてしまったからに違いない。
成瀬活雄 (映画監督/脚本家)
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どんなに年をとっても
人間には、生への願望、エロティシズムがある。
それをこの映画に感じた。
若松孝二(映画監督)
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驚くべき構成だ。
私は、こんなアプローチの仕方の映画をみたことがない。
トニー・レインズ(映画評論家)
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エセが氾濫する日常的ポストモダン状況にあって
ホンモノを追求している疑いがある。
石塚省二(社会哲学者)
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いまここで記憶を構築すること。
タツジという人物との共謀で行われるその作業は、
「映像」が古典的な範疇から大きくはみ出して「情報」とくくられたりもするようになる経過を、その狂騒を眺めることになる。
もちろんその先には、巨大な画面ではなく携帯の画面に微細な映像が散乱する現在が、「コンテンツ」といった面妖な言葉が跋扈する現在が来ているのだが。
タツジによる映像の歴史は、同時に、東京オリンピックの年に建てられた「東洋最大の」団地という空間に埋めこまれた生活、膨大な印刷物とその上の文字を貯蔵し続ける歴史でもあった。
「イメージ」が自由なものであるとするならば、その自由さは空間を埋め尽くした紙と文字があってこそ、ということなのだろうか。
大久保賢一(映画評論家) |
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